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ナボイ劇場とは
NAVOIOPERA
ビザンチン風建築のオペラハウス
中央アジアの中心地であるウズベキスタンの首都タシケント市にある総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築のオペラハウス。正式名称は「アリシェル・ナボイ劇場」。 建物内部にはいくつかの間やパーティの部屋があり、壁装飾は中央アジアの各地域の特色を生かすよう工夫されている。
特殊任務に就いた日本兵たち
オペラハウスの建設開始後、ソ連は、レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを決定して建築を進めていた。しかし、第二次世界大戦が始まったため、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事が止まっていた。そのため大戦後、日本人捕虜を活用して革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された。ソ連の捕虜になったのは合計60万人とも言われ、満州で捕虜となった日本兵はシベリアなどで森林伐採、道路・鉄道建設に従事しており、この劇場建設の任務は特殊業務であった。
劇場完成とウズベク人との交流
一級の劇場”ボリショイ”劇場としてモスクワ、レニングラード、キエフに続く劇場として、1947年10月に完成した。設計者はモスクワ・赤の広場「レーニン廟」を設計したシュシェフ氏。劇場建設での日本人の働きぶりを見ているうちにソ連の収容所長やウズベク人たちは次第に日本人捕虜に敬意を表し、心温まる友人関係や地元女性との恋なども生まれている。
タシケント大地震でも建ち続けた劇場~親日の由来~
タシケント市は1966年4月26日午前5時23分に直下型大地震に襲われたが、ナボイ劇場は何事もなかったように何ひとつ壊れることなく凛として悠然と建ち続け避難所としても活用された。震源地はタシケント市中央部地下、マグニチュード5.2に達した。国連の調査によると、60年代までの世界の大地震の5本指に入るほどの大きさで、約240の政府系建物、700の商店・レストラン、約180の教育施設、250の工場、約8万の家が崩壊し、約10万人の人々が戸外に放り出され、街はほぼ全壊した。大地震に倒れなかったナボイ劇場の話は、瞬く間にウズベキスタン国内や隣接するキルギス、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンなどの中央アジア各国に伝わり、1991年に中央アジア各国がソ連から独立した際に再び思い起こされ、日本をモデルとした国づくりをしようという動きつながった。
日本兵たちを称えるプレート
劇場裏手の記念プレートには以前ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていた。これをみた独立後大統領に就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と指摘し、「捕虜」と使うのはふさわしくないと1996年に新たなプレートに作り変えられた。「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」とウズベク語、日本語、英語、ロシア語の順に刻まれ、これを見た日本人の多くはこの史実を知り涙している。
波乱万丈の感動秘話
本書はよく知られたシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設の物語で、捕虜たちは完成した時にロシア人にもウズベク人にも感謝されたという奇特な胸暖まる話である。
【関連記事】
※
「名劇場の陰 抑留の歴史」
朝日新聞(2014.05.30)本劇場建設に携わられた故大塚武様のインタビューも掲載
2020年03月24日
「ウズベキスタン再来」
嶌の広島在住の友人が2001(平成13)年にオペラ歌手の故・経種廉彦(いだねやすひこ)氏が寄稿されたウズベキスタン・タシケント市のナボイ劇場での『夕鶴』上演に関するコラムをご本人の賢弟とのご縁により送付くださいましたのでご紹介します。
【過去の関連記事】2017年5月23日追加
2010年05月08日
ナボイ劇場建設の日本側責任者ー永田行夫さんがご逝去ー
(ウズベキスタン協会寄稿)
2001年09月
ユーラシア外交の裏に抑留者の苦悩
(World Watch)
2001年10月09日号
オペラ史上に輝くナボイの「夕鶴」
(財界)
2001年09月26日
捕虜の汗「夕鶴」に実結ぶ ウズベク「ナボイ劇場」のオペラ公演に感激
(日経新聞・永田行夫様寄稿)
■ 日本人抑留者記念館
私財を投じ日本人の仕事ぶりを後世に伝える
ジャリル・スルタノフ氏(70)は、ナボイ劇場の建設秘話やそれ以外にも水力発電所や工場、学校建設の話なども聞くに及んで勤勉な日本人抑留者の話などを資料として残すため1991年にウズベキスタンが独立したのを機に、日本人ゆかりの収容所や墓地などの資料や証言を収集。それらを1998年、タシケントの日本人墓地(ヤッカサライ墓地)近くにあるご子息宅の敷地に、私財を投じて「日本人抑留者記念館」を開館し、運営を続けてきた。
ウズベク人との交流
館内には、抑留当時の写真や資料のみならず、抑留者が現地の人に贈った手作りのゆりかごや肖像画など、抑留された日本人と当時のウズベク市民の交流を物語る貴重な品々が展示されている。
抑留者の生活を伝える
また、展示と並行して、抑留者の生活を描いたドキュメンタリー映像「ヒイラギ」を自ら制作し上映するなどの活動を行なっている。
スルタノフ氏を日本に招聘
それらの歴史を知ったウズベク日本大使館の加藤文彦大使らがスルタノフ氏に感謝状を送り、現地日本人関係者や嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会が相談してスルタノフ氏を日本に招待しようという話が持ち上がった。それを聞いて日本ウズベキスタン協会が安倍夫妻や官邸関係者に働きかけたところ、2015年10月末の中央アジア5ヵ国訪問の際、安倍首相の口からスルタノフ氏に招待の話がもちかけられたという。
2017年08月23日
【NEW】
21日の
テレビ東京「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」にてウズベキスタンの「ナボイ劇場」建設秘話が紹介された
内容を掲載しました。
2017年04月21日
昨日放送されたフジテレビ系「奇跡体験!アンビリーバボー」の放送内容まとめと、本放送に関連した映像「ひいらぎ」が5月6日に平和祈念展示資料館にて上映される告知を掲載しました。
2017年02月24日
ジャリル・スルタノフ様(日本人抑留者資料館館長)制作の日本人抑留者のドキュメンタリー映画「ひいらぎ」が平和祈念展示資料館にて嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会の協力により明日(25日)と3月11日に再び上映されます。
2016年12月02日
ジャリル・スルタノフ様(日本人抑留者資料館館長)の叙勲式がウズベキスタンの日本大使館で行われました
2016年11月17日
ジャリル・スルタノフ様(日本人抑留者資料館館長)と菅野怜子様(タシケント国立東洋学大学准教授)が叙勲を受章されました
2016年01月07日
1月23日(土)に恒例の日本ウズベキスタン協会の新年会が開催。ウズベキスタンからの本邦初公開映像やタシケントの日本人抑留者資料館の館長ジャリル・スルタノフ氏をお招きしたトークショー、嶌のサイン本販売も実施
【ジャリル・スルタノフ氏関連記事】
※共同通信[静岡新聞(2016.02.14)、東京新聞(2016.02.16)等]
「ウズベキスタン日本人抑留者資料館の館長 ジャリル・スルタノフさん」
※NHK WORLD(2016.02.16) 「Keeping Memories Alive」
(海外向けニュースの為、全編英語・公開が終了しました)
※NHK総合「おはよう日本」(2016.02.12)
ジャリル・スルタノフ氏のインタビューや来日の模様が放送されました
※産経新聞(2016.02.06)
「ウズベキスタンで抑留者資料館運営・スルタノフさん、京都の引揚記念館訪問」
※日本記者クラブ・嶌ブログ(2016.01.27)
1月21日に日本記者クラブにて開催されたジャリル・スルタノフ氏の記者会見のレポートを嶌が日本記者クラブに寄稿、同氏のインタビューや来日の模様が本日22時からのNHK BS1「国際報道」にて放送
※毎日新聞(2016.01.26)
「日本人抑留者 ウズベクの資料館長、舞鶴へ 元抑留者らと交流 /京都」
※時事通信(2016.01.21) 「抑留者造った施設、今も稼働=旧ソ連ウズベクの資料館長来日」
※時事通信(2016.01.20) 首相動静 ウズベキスタン「日本人抑留者記念館」のスルタノフ館長
※在ウズベキスタン日本大使館サイト(2015.10.13)
「ジャリル・スルタノフ日本人抑留者記念館館長に対する平成27年度外務大臣表彰授章式が開催されました」
※在ウズベキスタン日本大使館サイト(2015.09.03)
「ジャリル・スルタノフ日本人抑留者記念館館長に対する平成27年度外務大臣表彰の授与」
※産経新聞(2015.09.20)
「オペラ劇場、水力発電…日本人抑留者が残した遺産 語り継ぐウズベク人」
※毎日新聞(2015.09.15)
「中央アジアの地に残る抑留者の足跡 タシケント」
※時事通信(2015.08.10)「私財で抑留者資料館=冷蔵庫修理で起業の男性-ウズベク」(公開が終了しました)
■ 日本人抑留者墓地(ヤッカサライ墓地)
ウズベキスタンの日本人墓地
ウズベキスタンには収容所がタシケントの他5か所あり、現地で亡くなられた方は1008人とされる。
タシケント市のお墓はジャリル氏の資料館の前にあり、タシケントの各収容所で亡くなられた79人が埋葬され、毎週ウズベク人の女性たちが掃除をしてくれている。
ウズベキスタンの桜
中山恭子元ウズベキスタン大使ご夫妻や福島県ウズベキスタン文化経済交流協会、抑留され劇場建設にあたられた加藤金太郎氏らのご努力によって全国の有志から寄付が集まり、現在はウズベキスタン抑留地各地に立派なお墓が建立され、春になると桜が満開になる。
第4収容所の埋葬者
本書の舞台であるナボイ劇場建設に携わられた方々が収容されていた第4収容所にいた方で亡くなられた方は、1947年7月に劇場建築の高所作業中に転落した永尾清氏と1946年12月に列車にひかれた野村浅一氏の2名が亡くなられこのヤッカサライ墓地に埋葬されている。
※
安倍総理大臣のウズベキスタン訪問(外務省 2015.10.26)
安倍首相は2015年10月の訪問時にジャリル・スルタノフ氏(抑留者資料館館長、平成27年度外務大臣表彰受賞)及び墓地管理人の挨拶を受け、この際安倍総理からスルタノフ氏の日本への招待が伝えられた。
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ノンフィクション
『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』を加筆修正した新書版が
2019年9月7日発売
伝説となった日本兵捕虜ーソ連四大劇場を建てた男たち
(角川新書)
【著】嶌 信彦
2015年9月30日発売
日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた
(角川書店)
【著】嶌 信彦
この偉業に読売新聞、産経新聞、共同通信など各紙誌で感嘆の嵐!「日本人として恥ずべき仕事はしない
」
TBSラジオ「嶌信彦のエネルギッシュトーク」にウズベキスタン タシケント市のナボイ劇場を建設された日本兵収容所の隊長を務められた永田行夫様(故人)が出演されナボイ劇場建設について語っている貴重な音源です。
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